プロポーズ④

初夏の気持ちよく晴れた日、Mikeは買ったばかりの自転車でピクニックに行こうと誘った。せっかくだからと、缶ビールやおつまみを持って、家から10分くらいの湘南の海が見れる場所にさし美と三人で向かった。

夏になると湘南は海の家が乱立し、観光客で埋め尽くされてしまうので、地元の人は穴場スポットというのも知っていて、夏でも優雅に夕日を見ながら海岸でゆっくり過ごすことができる。ここに引っ越してきてよかったと思えるのは、いつもそういう時間を過ごせていることだった。東京の住んでいた時は、いつも何かに追われ、何かをしなくてはいけないと感じ、本当の贅沢な時間の使い方を知らなかった。

音楽を聴きながら、夕日が落ちるのを見ながら、缶ビールで乾杯。その時も、そんな贅沢な時間を楽しんでいた。

話は、自転車の話になった。新しい自転車が潮風でさびないという事をあたかも自分が作った自転車のように、自慢げに語られていた。明らかに自慢されると突っ込みたくなる性格なので、自転車自体は恰好良くていいけど、ライトとかベルとか付けないと危ないねといった。でも、そうするとださくなるねと。

するとMikeはおもむろに、ベルなら最近買ったよと透明のプラスティックの箱を手渡した。

いつのまに、と思ったけど、中には見た目がおしゃれなベルが入っていて、最近はベルもおしゃれやね。これなら自転車の見た目に影響せえへんね、と答えた。

円形のシルバーのベルだった。

ただ、ベルはベル。それ以上でもそれ以下でもない。会話をライトの話にしようと思った時、Mikeは僕の手から箱を取り上げ、ベルを出して僕の目の前に出した。

円形のベル。自転車のベル。人に注意を喚起するベル。ただのベル….

…….

 

…….

ではなかった。

「Soji, will you marry me?」

そこには、そう深く刻まれていた。

一瞬、時が止まった。

そして円の向こうには、してやったりのMikeの顔が見えた。

「Yes」と答える前に「やられた!」と思った。その後、感動の涙が頬を伝った。。。と言いたいところだが、一切そんなこともなく、なぜか可笑しくて大爆笑してしまった。

その後にMikeが隠しもってきたアイダホワインを取り出し、祝杯をした。そのワインが本当に美味しく、夕日を見ながら将来の事を話した。

Mikeには、自分たちがそうなりたいと思う理想のカップルがいて、それは母方の祖父母だった。

しっかり者で元気な祖母と少し内気な祖父。祖母に一目ぼれした祖父は、その結婚式以来生涯を共にした。自他共に認めるおしどり夫婦で、祖父は事あるごとに自分の奥さんを誉めえ、周りが恥ずかしくなるくらいの溺愛振りだったらしい。

おばあちゃんがいなくなったら、おじいちゃんはどうなるんだろうね。

親戚が集まるたびに、そう言って祖父の愛情をからかっていたらしい、そして、その心配が現実のものになってしまう日が来てしまった。

周りの心配をよそに、祖父はそこまで落ち込んだ様子を見せずに、ただ毎日を過ごしていたらしい。そして、ある日Mikeの母にこう漏らしたという。

「自分がこの世からいなくなる日が楽しみでしかたない。その日が、おばあちゃんと再会できる日だから。そう思いながら、残りの人生を彼女との思い出を噛みしめながら生きていくんだ。」

Mikeが一年がかりのプロポーズをしてくれたあの日、僕たちは付き合って10年目になる2018年の8月8日、Mikeの祖父母が結婚を誓った日に結婚することを決めた。

 

プロポーズ③

ドラマや映画でみるような、完全100%サプライズのプロポーズは世の中にどれくらいあるのだろうか?フラッシュモブでデート中にプロポーズ、旅行中に絶景ポイントで跪いてプロポ―ズ。色々聞いたことはあるけど、実際に周りにそんな経験者はいない。Mikeの場合は、どういう風なプロポーズなのだろうか?期待は勝手に膨らんだ。

ある日、海外出張から帰ると家の前に見慣れない自転車が二台止まっていた。新品のビーチクルーザーで、近所の友達が遊びに来ているのかと思って玄関を開けると、Mike以外誰もいなかった。

それは、付き合って9周年目のMikeからのプレゼントだった。わざわざアメリカから取り寄せた、黒と白のお揃いの自転車。ビーチクルーザーでサーフィン行ったり、さし美をバスケットに入れてピクニック行きたいと常日頃話していたので、純粋に喜んだ。

一瞬、このままの流れでプロポーズか?とよぎったが、これじゃあまるでプロポーズをねだるアジア人(出た。。。)ではないか、と思い、あまり考えないようにした。そして案の定、その日は何もなかった。

それよりも、考えなくてはいけないことが山ほどあった。というのも、付き合って10年目にハワイで結婚という予定だけは既に二人の間で決まっていて、プロポーズ前から既に色々ハワイの結婚式事情を調べていたのだ。

2016年の夏、式の場所を下見するため、ハワイに行くことになった。プロポーズもないまま、結婚式の準備をしている事実に対して、少し疑問に思ってはいたが、むしろその頃になると、これは旅行先でひざまづくパターンやな、となんとなく決めつけていて、ハワイまではあんまりプロポーズの事を考えずに日々の生活に追われていた。

しかし、ハワイへの旅行も直前に迫っていたある日、その日は突然やってきた。本当に前拍子もなく、突然に。

 

プロポーズ②

011年の夏に、僕は約5年務めていた外資のITベンチャーを辞職した。その当時、日本を脱出したい欲が最高潮に達し、密かに準備を進め、その当時流行っていたスマホのゲーム会社に転職を決めた。最初の6か月は日本で勤務し、その後はベトナムのホーチミンで駐在するという話だった。

今から考えると信じられない話だが、会社の退職から転職先の決定、いずれば遠距離になるという流れを一人で決め、Mikeにはまさかの事後報告だった。そんな破天荒な決断だったが、最終的にMikeはそれを受け止め、応援するとまで言ってくれたのだった。

さすがに罪悪感を感じた僕は、次の仕事が始まるまでの休みを利用して、Mikeに罪滅ぼしの気持ちも含め、セブ島へのリゾート旅行をプレゼントした。

セブ島での休暇は、天国かと思えるほど充実した日々が続いてた中、地獄のような事件が起きた。

ある日の夜、リゾートホテルを出て夜の街に繰り出そうということで、セブ島に唯一あると言われるゲイバーに行くことにした。

店内は、日本のそれとは違いバーの真ん中にお立ち台(?)みたいにモデルが歩くスペースがあり、それを取り囲むようにテーブルが配置されていた。客のほぼ大半が、中国か韓国からきたと思える中年女性で、目の前でくねくね踊るボーイズ達に熱い視線を浴びせていた。

その日、その「ゲイバー」で唯一のゲイだったという明らかに場違いな状況に、「飲むしかない」と決めた。

一通りショーが終わると、そのバーのママと思われる大柄の女性がテーブルに挨拶に来た。Mikeの耳元で色々話しているが、何を言っているのかが聞こえない。時折笑顔で話す二人を横目に、新たに始まったショーに熱い視線を向ける。隣ではなぜか盛り上がるMikeとママ。もはやMikeとママ、そして自分と中年女性というチームにはっきりと分かれていた。

ショーの二幕が終わり、ママが席を立ったタイミングでMikeに何でそんなに盛り上がったのか聞いてみた。

そのバーは、ショーで踊るボーイ君を持ち帰りできるシステムがあるらしく、ママはMikeにそれを提案していたのだ。そして、さらに衝撃的な事にママは僕の事をマネーボーイと思っていたらしく、その子よりもうちの子の方が断然いいから(何が?)チェンジしちゃいなさいよ的な提案をしていたらしい。どうりで、ママは自分の顔を一切見なかったわけだ。

ぶちっと切れる音が頭の中で聞こえた。

怒りの矛先は、厚化粧のママではなくむしろMikeだった。自分の彼氏がマネーボーイと勘違いされて、それを否定もせずに(したかもしれないが。。。)、二人で盛り上がり、実際の彼氏を「若いボーイを鑑賞する会」に入会させた事実。しかも、この旅行の代金は全部自分が払っているのに。。。

当初の罪悪感が一気に消え失せ、僕の思考回路はショートした。

白人とアジア人とのカップル→アジア人は大抵マネーボーイ→ビザのために結婚したい→ことあるごとにプロポーズする→しつこくて、捨てられる。→次の旦那様を探しに、今夜もショーで舞う

という、明らかにおかしいロジックが生まれた。そしてアジア人の意地にかけて、僕は心に誓った。

「自分からはプロポーズを絶対にしない」

そんな天国から地獄に落ちたセブ島の旅行を終え、僕は晴れてゲーム会社に入社した。

そして、まさかの入社一週間で退職した。

セブ島は僕たちにほろ苦い思い出と、プロポーズをするのはMikeという暗黙の約束を残してくれた。

あれから数年が経ち、Mikeは出会って10年目という節目となる2017年に結婚を目標に、謎のロジックでプロポーズをしないと頑なに決め込んだ相手に対して、一年がかりのプロポーズの計画を立て始めた。

プロポーズ①

2015年6月26日、僕たちはいつも以上にド派手な口喧嘩をしていた。原因が全く思い出せないので、大したことがない種類のものであったに違いないが、その日の事を今でも鮮明に覚えている。

アドレナリンフル回転で、あーでもない、こーでもないと、まくし立てていた時、Mikeが携帯に目をやり、何かを読んでいる。喧嘩の最中に、スマホに逃げている事実を目のあたりにし、僕の怒りは沸点に達した。

「同性婚、アメリカで合法化」

Mikeは、魔法の言葉のようにそう言い放った。

アメリカの連邦最高裁判所が、同性婚を認める判断を下し、事実上の同性婚が合法化されたというニュースだった。

この決定がアメリカにとって、そして自分達にとってどんな意味を持つのか、その場ですぐに理解することはできなかった。でも、この突然の報道のおかげで2人の喧嘩が宙ぶらりんになり終結を迎えた奇跡はまさに魔法だった。

これを境に2人の間に「結婚」という可能性があることを少し意識し始めた。

そして、数か月後に僕は母親にカミングアウトをすることになる。

「プロポーズ」をいつするのか?そして、どちらがするのか?これは、大抵どのカップルでも悩ましい問題かもしれないが、僕たち二人の間では、少なくともMikeからするということは結構前から決まっていた、というか「自分からはプロポーズは絶対しない」と常日頃から宣言していた。そう固く決意したのは、6年前に遡ることになる。

母へのカミングアウト④

後になって母にその当時の話をすると、母の記憶は少し違っているようだった。特に北朝鮮のくだりは身に覚えがないらしいが、こんな話作れる訳がない。録音しておけばよかった。

告白の後、僕は犬と散歩に行くと夜中に一人家を出て、近所の海岸に向かった。友人そしてMikeにとりあえずの報告をし、夜の海を見ながらようやく少し冷静に母との会話を思い出すことができた。

さんざん泣いた後、謝り続ける僕にこう話しはじめた。」

「Sojiが勇気を出して話してくれてよかった。何も悪いことをしているんじゃないだから、謝る必要はないの。」

「人間60歳も年を取ると、色んな事に対していい意味で多くを求めなくなる。息子が元気でいてくれたらそれでいい。50歳だったら、Mikeの事を知らんかったら、もしかしたら違う反応をしていたかもしれんわ。」

黙って頷く事しかできなかった。

深夜になって家に帰ると、食器が片付けられていて、母は既に自分の部屋に戻っているようだった。部屋の明かりがついているか確認するのが怖くて、僕はそのままベットに倒れこんだ。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

深い深い井戸に本当の自分を沈め、蓋の上に重石を置いて閉じ込める。もう一人の自分が、番人として緊張を隠し、ポーカーフェイスでその蓋を守っている。間違って蓋が空いてしまうと、重石が落下してつぶされてしまう。僕は生きるための本能で蓋を抑え続ける。

暗くて狭い井戸の中。最初は孤独でいたたまれない気持ちになったが、それにもすぐに慣れた。

井戸生活と番人の二重生活が長いあいだ続いた。井戸の中の僕は心も体も大人になり、幾分窮屈になっていた。好奇心が芽生え井戸の外に出てみたいと思う気持ちが強くなった。

番人にそう伝えると、きまって重石の話をされた。そのたびに、見えない重石の恐怖が外への欲求を勝った。

ある日、その日もいつも通り天井を見上げていると、蓋がぎしぎしと動いている。一筋の光が差し込む。

そして、その蓋は音を立てて、容赦なく外された。まるで、朝のベットからなかなか起きようとしない子供の布団をはぎ取るように。容赦なく。大胆に。

僕は、咄嗟に目をつぶり、頭を抱え込むように身構えた。反射的に、本能的に。

「つぶされる。」

震えながら、時を待った。何度も見ていた悪夢が、今回も夢であることを必死に祈った。

・・・・・・・

・・・・・・・

いつまでたっても、何も落ちてこない。恐る恐る目を開け、天井を見上げてみる。

そこには、青い空が見えた。

恐る恐る這いあがってみると、外された蓋、その上には重石ではなく花が咲いていた。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

自然と目が覚め、ベットで茫然としていた。昨夜あったことが決して夢ではないという確信。そして、今まで感じたことがないような、解放感がそこにはあった。

「朝ごはん、できたわよー。」

いつもの何も変わらない朝がそこにはあった。

僕は一体、こんなにも長い間何におびえていたのだろうか?

 

母へのカミングアウト③

その前年に、一つ上の兄が結婚した。

母は、地元で強力な仲人チームを結成し、兄の将来のお嫁さん探しをライフワークにしていた時期があり、兄の結婚を人一倍喜んだ。(結局、仲人チームの力は及ばず、就職先の名古屋でいい人に巡り合えたので、息子にとっては迷惑極まりない母のライフワークは無駄に終わった。)

そのライフワークの矛先はいずれ自分に向かうと覚悟していた。

母は家の中の物色を終えると、少し広くなったキッチンで夜ごはんを作り始めた。その間、いつも以上のペースでお酒を飲ますにはいられなかった。

「今じゃない、今じゃない」

夜ごはんを待っている時も、食べているときも、ずっと頭の中をぐるぐる回っていた。

少し酔いも回り始めたころ、会話は兄の結婚の話になった。

兄の結婚式が、名古屋に割には相当地味だったこと。

結婚式で、あんなに幸せそうな兄を見たことはなかったこと。

結局は自分で見つけたお嫁さんが一番だということ。

思えば、今までもずっと色んな話をしてきた二人。

でも、なぜ肝心の自分の事が言えないのだろうか・・。

「***(兄の名前)は結婚して幸せになるタイプやけど、だからと言ってSojiは結婚しなくもてもええのよ。」

母は、急にぽろっと言った。

母の意図が良くわからなかったが、反射的に僕はこう言い返した。

「そっか。でも、俺やって将来は結婚したいと思ってるねんで。」

一瞬、間があって、そういう人がいるのか?と聞かれた。

「おらんことはない。でも、普通の結婚ではないかもしれん。」

「普通の結婚」。。。。。って何なのだろうか。自分でそう言って、不思議に思えた。

「そっか、Sojiは将来結婚したいと思っている。でも、その人との結婚は普通ではない。。。」

母は、独り言のように呟いて、信じられないような言葉を放った。

「Sojiの付き合っている人は。。。北朝鮮の人なの?」

真顔だった。ウケ狙いとは思えないほどの。

肩透かしを食らう僕。「い、いや。北朝鮮ではない。。」

「そっか、じゃあどう言う事?」

母は真顔だった。

「・・・・・・・・・・」

そこから先のあと一歩。あと一歩を結局は自分から進めることはできなかった。

思えば、小さいころからいつも最後は母に助けられていた。

夫婦喧嘩に耐えられなくなり、家を抜け出し近所の本屋さんに逃げ込んだ時。

家族旅行はいつも、わがままにすねて周りに迷惑をかけていた時。

大学時代、些細な事で喧嘩をし、母からの電話を全て無視していた時。

決まって、最後は母からの助けがあった。

沈黙が続いた。そして、僕は母の事を直視できなくなっていた。

話題を変えないと。といつもの防衛本能が働く。「今じゃない、今じゃない」

「同性が好きなの?」

ストレートすぎる質問だった。

返事もできないまま崩れ落ちるように泣いた。それが僕の十分すぎる答えだった。

母へのカミングアウト②

2015年の夏、Mikeがアメリカに帰省するタイミングに、母親が家に泊まにくるということになった。今回は賃貸アパートではなく、購入したばかりのマイホームの様子見ということだ。もうこれ以上「Mikeとのシェア生活」という嘘は限界だった。

Mikeと付き合って既に8年目を迎えていたその当時、本格的に同棲して6年以上が経っていた。Mikeは、大学生時代に既に家族にはカミングアウト済みで、Sojiに会いたがっているというプレッシャーを受け続けていた。でも自分の家族に本当の事を言っていないのに、相手の家族に会うという気にどうしてもなれなかった。

自分にも「その時」が来た、と思った。

でも、実際にじゃあどうすれば?がわからなかったので、色々調べることにした。

砂川秀樹著の「カミングアウト・レターズ」というLGBTのカミングアウトに関する本がある。いろいろな告白が手紙のやり取りという形で紹介されている。その中には、感情移入することができた関西の親子の話もあり、背中を教えてもらえたような気になれた。

既に両親にカミングアウトしている友人にも、参考にと話を聞いてみた。カミングアウトした結果、それまで以上に親子関係を深目ることができた話、そしてその逆のパターンの話も聞いた。カミングアウトすることが、果たして正しい事なのか。それ自体、色々な意見があった。

本や友人たちの当事者の話はリアルだった。にもかかわらず、肝心の自分はふわふわしていて、実際にその行為を行う当事者意識が全然なかった。

Mikeがアメリカに出発する朝、僕は高らかにこう宣言した。

「Mikeが飛行機に乗っている間に、全てが変わっているから。アメリカに着いたら、すぐにメールをチェックしてね。」

明らかにふわふらしていた。

長すぎる間、隠し続けた嘘。どういう風に切り出すのか。母の反応は?自分の言いたいことをうまく伝えられるのか?何度も頭で予行練習してみるが、これといった正解が見つからない。

結局「カミングアウトをする」事以外、何も決まらなかった。

母が最寄の駅に着いたという連絡が来た時、ようやく僕はカミングアウトの重みを全身で感じた。

今日を境に、親子関係が崩れるかもしれないこと。

母が息子に対して抱いていた夢や希望を打ち砕いてしまう可能性があること。

自分のこれまで反射的についてきた嘘の数々。

「親というものは子供を心配するあまり、常に最悪のシナリオを考えておくものなのよ。」

いつもの母のセリフが頭をよぎる。

「別に今日言わなくてもいいんじゃないか。」

逃げだしたくない想いに襲われる中、ドアのチャイムが鳴った。

そこには、いつもの母がいた。

母へのカミングアウト①

 

「親というものは子供を心配するあまり、常に最悪のシナリオを考えておくものなのよ。」

僕が大学を辞めたいといったとき、留学を決めたとき、東京に住むと決めたとき、聞いたこともないベンチャー企業に就職をきめたとき・・・。母は、常にそう口にした。そして母の場合は、その最悪のシナリオを胸にとどめず、迷いなくぶつけてくる性格だった。

なので、自然と事後報告パターンが多くなる。必ず、反対されるとわかってるからだ。

そのたびに、僕のセリフは決まっていた。

「日本の大学卒業したら、何してもいいって言ったよね?」

日本に帰国して、東京、そして湘南と何度も引っ越しをしてきたが、そのたびに母は家に遊びに来た。おそらく生存確認の意味もかねて。

僕たちは、7年前に本格的に同棲を開始し、東京の高円寺にあるアパートに住んでいた。

その時もそのアパートに引っ越したばかりで、母がどうしても家を見てみたいということで、「シェアメイト」のMikeがいない間に、しぶしぶ招待することにした。

夕方に到着するということで、そわそわして待っているがなかなか現れない。結局、到着したのが夜も随分経った頃だった。一通り家中を物色され(ダブルベットを置いている「シェアメイト」の部屋はプライバシーと理由で、見せなかった。)、居心地も悪いので、外でご飯を食べようと玄関に向かった時、ドアが開きMikeが帰ってきてしまった。

明らかに動揺の色を隠せない2人。ぎこちなさすぎる時間が過ぎていく。慌ててMikeを紹介する自分。突然すぎて言葉を失うMike。そして、なぜか片言の「日本語」を話しはじめる母。

それが、母とMikeとの最初の出会いだった。

母は、その時にことをよく覚えていて、酔っぱらうといつも同じ話をくりかえす。「あの時、Mikeとはじめて会って、とても安心したわ。シェアメイトとしての紹介だったけど、Sojiが一緒に住む人が、清潔で感じが良くて、直ぐにMikeの事を好きになったわ。Sojiは、本当にだらしなくて、一緒に住むには大変な奴やから。」

母は、いつもMikeを上げ、僕を下げることを決して忘れない。

それ以来、実家にはMikeと一緒に帰省するようになった。あくまで、仲のいいシェアメイトとしてだったが、一緒の時間を過ごすことができるようになったことは大きすぎる一歩だった。

そして、2015年の夏。僕は、母親に自分のセクシャリティをカミングアウトすることに決めた。

プロローグ

「生涯で1番忘れられない一日」を問われたら、父が亡くなった日と答えようと思っていた。朝、母から電話がかかってきて、祖母を連れて雨の中タクシーで向かって、既に意識のない父と対面した。その日一日の空気感は今でも覚えている。憔悴しきった母の背中や息子を失った祖母が捧げる祈り。葬儀屋の顔。病院の屋上に広がる雨雲。そんなグレイな一日に、僕は数少ない家族を一人失った。2001年6月6月、19歳だった。

それからまもなくして、祖父母が亡くなり、これからは自分の家族は少なくなっていく一方だと覚悟を決めた。

そして、僕は大人になった。

父を亡くして、その当時通っていた地方の国立大学に通う事ができなくなった僕に対して母はこう言った。

「大学さえ卒業してくれたら、あなたの人生何してもいい。だからお願い。卒業だけはして。」

先日この話を母にしたら、自分は憶えていないと言われたが、この言葉がなぜかその後の僕の生き方を支えた。

日本の大学を卒業し、就職活動もせずオーストラリアに留学した。3年間の留学生活で、僕は一つの現実を受け止めた。というか、受け止めるしかないとあきらめることができた。

「自分はゲイで、これからは世間の人が「普通」という人生を歩むことはない。」

そして、ストレートの友達数人に初めてカミングアウトをした。それは仲のいい友人にありのままの自分を受け止めてほしいといった気持ちというかむしろ、自分に対する決意表明だった。

「将来、パートナーと呼べる人と出会えたら、家族に自分の事をカミングアウトして、結婚したい。」

友人達にそんな夢を高らかに宣言して、2007年の春に留学生活を終え、日本に帰国した。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

あれから10年という月日が経ち、僕はハワイのノースショアにある場所に立っている。

隣にはパートナーのMike、両脇には着物姿の母親とセクシードレスのMikeのママ。そして、前方には真っ青な空と海、ウェディングアーチ、そして友人や家族の姿が見える。

ウクレレの曲が、「Somewhere Over the Rainbow」に変わる。

始まりの合図だ。

Somewhere over the rainbow
Way up high
There’s a land that I heard of
Once in a lullaby

虹の向こうのどこか空高くに
子守歌で聞いた国がある

Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true

虹の向こうの空は青く
信じた夢はすべて現実のものとなる

僕たちはぎこちなく歩きだす。4人で歩いたアーチへの道のりは、10年前に願った「そこ」への道だった。

Some day I’ll wish upon a star

And wake up where the clouds are far behind me

Where troubles melt like lemondrops

Away above the chimney tops

That’s where you’ll find me

(いつか星に願う

目覚めると僕は雲を見下ろし

すべての悩みはレモンの雫となって

屋根の上へ溶け落ちていく

僕はそこへ行くんだ)

そして、2017年8月8日「生涯で1番忘れられない一日」が始まった。

「homemade家族」とは?-はじめての方へ-

はじめまして、homemade家族のSojiです。この度は本ウェブサイトにお立ち寄り頂き、誠にありがとうございます。はじめに、このホームページは、同性愛に関する内容が含まれます。同性愛に対して、抵抗や偏見がある方はご遠慮ください。

それでは最初に、このhomemade家族のことについてお話させてください。

homemade家族は、日米のゲイカップルとレズビアンカップルの4人で1から作り上げる、手作り(Homemade)の家族についてのお話しです。

この2組のカップルは、あるきっかけで、2016年の暮れに出会いました。

そのきっかけは、「LGBTの子育てを考える会」でした。

偶然ネットで見つけたクローズ型のこの会に、はじめて一人で参加しました。緊張しながら会場に入り、一息ついて最初に感じたのは、「女性多いな・・・」という印象です。自分を含め、男性の参加は数名。残りはすべて女性ということで、「LGBT・・・」ではなく、「レズビアンの子育てを考える会」といった内容でした。

一通り説明が終わり、その後に交流会という流れになったのですが、なんとなく居心地が悪くなり、早々とその場を立ち去りました。

子育てを考えるゲイというのは、「マイノリティの中のマイノリティ」なんだと、あらためて実感しました。

少し落ち込み気味で会場を後にし、エレベーターを待っている時、後に「運命」と思えるような出会いがあったのです。そこには、自分と同じように居心地悪そうに待っている(ようにみえた)、ブロンドヘアーの女性がいました。

それが、Ronnieとの出会いでした。

その会場から新宿駅までに道のりで話したことを、今でも鮮明に覚えています。

自分がゲイとして、会場で自分が感じていた疎外感を、彼女も、外国人として似たように感じていたこと。

お互いに、昔長野県に住んでいて、今は長く付き合うパートナーと思える人と同棲し、子供について考え始めたこと。

たった20分と短い時間でしたが、単なるその場限りのトークで終わらないような感覚があり、連絡先を交換し、今度は互いのパートナーと一緒に4人でご飯しよう。と別れました。

その偶然の出会いから約1年半が経ち、「ダブルデート」を重ね、お互いの価値観や性格、将来の夢を何度も話しあってきました。女性とダブルデートを重ね、お互いが歩み寄っていくこの過程は、ストレートの女友達とは全然違い、今まで味わったことがない感覚でした。

僕とアメリカ人のパートナーは付き合って10年になる2017年8月にハワイで同性婚をしました。「結婚」という目標に向かって歩いてきた二人が、その目標を達成し、「では次?」と考えたときに、そこには、「親になりたい。一緒に子供を育てたい」という強い思いがお互いに確認しました。

そして、東京オリンピックの2020年までに「親になる」という目標を立てました。

養子縁組や代理母出産など「親になる」方法は、決して一つではありません。LBGTでもそれは同じです。ただ、自分たちの希望で、同じ目標をもつレズビアンのカップルとの間に子供を持てればいいなという気持ちはありました。彼女たちと過ごす時間の中で、その想いがより強くなっていったと思います。

しかし、その目標は一方通行の想いでは決して実現できません。2020年という、遠くない将来の目標を達成するために、彼女たちにその想いを伝えるという新たなカミングアウトがしなくてはいけない。

今思うと不思議ですが、「LBGTの子育てを考える会」がきっかけで出会った4人でしたが、それ以来、4人で「将来の子育て」について具体的に話す機会はありませんでした。親になることは、ゲイカップルの強い想いだけでは、どうもならないことです。相手に同じ想いがなければ成り立たない。その想いを確認したいけど、もし違っていたら・・・といった不安がどこかにあり、切り出すタイミングが見つかりませんでした。

どういうシチュエーションで、誰が切り出すのか、もやもやする時間が過ぎていきました。

そして、ついにその日は訪れました。忘れもしない2018年5月3日、長野県の青木村という山村のキャンプ場で、四人の想いをはじめて確認しあうことができたのです。

そしてまさに今、日米のゲイとレズビアンカップルの4人が同じ方向を見て歩き出すスタート地点に立つことになりました。

この「homemade家族」は、2020年に「親になる」という目標を掲げたLBGT当事者たちが、過去、今、そして未来への想いを記録するための場所です。

自分達のため、将来の子供たちのため、そして「LBGTとして親になる」という前例や情報があまりない(特に日本)現在、同じ志を持った人、【当事者目線】で、少しでも役に立つ情報を残したいという気持ちから、このホームページをスタートすることにしました。

まだまだこの先色々あるとは思いますが、このhomemade家族が「親になる軌跡」から「子育ての日常」に変わることを願って、4人で前に進んで行けたらと思います。

2018年8月1日 Soji